象牙ストラップ

武将家紋・旗印を細部に渡り妥協なく忠実に再現しています。たとえば本多忠勝家の本多立葵紋は細密に描かれこのサイズでは再現は難しいとされてきましたが弊社特殊技法により葉の葉脈から葉先までデフォルメすることなくしっかりと彫刻されています。また裏面には武将名を配し彫刻部分全てにいぶし銀仕上を施しています。

本体の金属部分(武将家紋)はもちろんのこと、ストラップ金具に至り廉価な真鍮メッキ金具などを使うことなくすべて銀素材(Silver925)で統一しています。

武将紋両脇に配する丸玉には江戸時代より高級和ものには欠かせない本象牙丸玉を採用し土産物レベルの携帯ストラップとは一線を画しています。

本物だけが持つ気品と風格をぜひ一度お手にとってお確かめください。

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三方ヶ原の戦い

徳川家康惨敗・存亡の危機、もしかしたら徳川幕府じゃなかったかも・・・
三方ヶ原の戦いは元亀3年12月22日(1573年1月25日)現在の浜松市北区三方原地区で、武田信玄軍2万7千人と徳川家康軍1万1千人との間で起こりました。

圧倒的兵力を誇る精鋭武田軍に支城二俣城を落城された家康は武田軍の次の狙いは本城、浜松城だと見越して武田軍との篭城戦に備えます。しかし、武田軍は二俣城より南下するが途中より次の目的地、堀江城(浜松城より西北西に位置する)へと進路を西に向け進軍していました。浜松城を素通りされたことを知った家康は、このままでは笑いものになると考え軍議を開くと出陣の意向を家臣に伝えます。家臣の中には城に留まるべきとの意見もありましたが家康はそれらの反対を押し切り篭城策を取りやめるとすぐに三方ヶ原台地を進軍する武田軍の後方から攻撃を仕掛けます。

ところが、武田軍の後方を取るどころか待ち構えていた武田軍にわずか2時間程の戦闘で甚大な被害を受け、家康を逃がすため身代わりとなった夏目吉信や鈴木久三郎他多くの家臣も失うことになりました。徳川軍の一方的敗北の中、討ち死に寸前まで追い込まれやっとの思いで城へ逃げ帰った家康は、その時のあまりの恐怖に脱糞したとも伝えられています。城に帰るや否や家康は家臣にすべての城門を開きかがり火を焚くことを命じます。

そこで家康を追って追撃に出た武田軍屈指の武将山県昌景が目にしたものは無防備に開け放たれた城門とかがり火でした。そのあまりに無防備な様に返って警戒心を煽られた山県隊は城内に突入することなくそのまま引上げます。軍装を赤一色に統一し「赤備え」として諸大名からも恐れられた山県隊を指揮する山県昌景の逸話の中に「勝てると思っても確信しない限り戦わないようにしている」と答えた話しがありますが、徳川家康はまさに山県昌景のその慎重さに救われたのではないでしょうか。もし山県隊がそのまま躊躇せずに攻め込んでいたら…歴史は大きく変わっていたのかも知れません。このように三方ヶの戦いは戦国の歴史の中では小さな戦闘でしたがその後天下を統一する徳川家康にとって将来忘れえぬ戦いとなったことでしょう。事実、城に戻った家康は血気にはやって多くの将兵を失った自身への戒めとしてあの有名な顰像(しかみ像)を描かせたと言われます。その時、徳川家康30歳、武田信玄52歳、山県昌景44歳。

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